facebookの追悼コメント

PEOPLE&PLACE(ピープル&プレイス)

2012年09月01日 14:50




今週の水曜日、30年来の友人が、あの世に旅立ちました。

彼の訃報を受け、何か、情報はないかなと、すぐに、彼のfacebookウォールを開けてみましたが、ここ1週間何も書かれていませんでした。



彼は、マクドナルドの同期入社。

彼が、東京から大阪に異動してきたときに、大阪ミナミで互いにライバルとして、切磋琢磨した仲間でした。


その後、私は、マクドナルドから新宿さぼてんに転職。

共に東京にいながら、連絡を取り合う訳でもなく、そのままお互いの記憶から消えていくような関係となっていました。


しかし、時代は進化しています。

facebookと言う、新しい時代のSNSの登場で、昨年春、彼が未だマクドナルドで活躍しているのを知り、

再び友人としての繋がりが復活したのでした。


その後は、facebook上でのみ付き合いが続きました。

そんな彼が、昨年、病気で体調を崩し、会社も退職し、入院と療養生活を繰り返すことになりました。

私は、彼の体調を心配しつつも、faceboookで毎日のように、レストランでの食事や旅行先でのレポートなどを書き込んでいる様子に、安心をしていました。

チェックインですぐ近くにいても「ニアミス~」と言って笑っているだけでした。


今週水曜日、訃報はあまりにも突然にやってきました。

後悔先に立たず・・・

会いに行けば良かった・・・

facebookのコメントで、勝手に元気だと決めて付けていた自分の思い込みを嘆きました。


冒頭にも書きましたが、連絡を受けた後、すぐに、彼のfacebookウォールを見たときは、1週間前に彼が最後に書き込んだコメントが、最新コメントでした。

しかし、今日、再び開けてみると、なんと十数名の方から、彼への追悼コメントが、感謝の気持ちと共に書き込まれていました。


こう言うSNSの仕組みがなかった頃、個人への追悼文は、告別式に向けた電報でした。

それを、告別式の司会が、代読しているのを聞くことしかありませんでした。

しかも、電報ですからそのほとんどが、定型文。

悲しいけれど、淡々と聞いているのが、常でした。

また、その宛先は、故人のご家族に向けたものが一般的でした。


今日、facebookの彼のウォールに寄せられた、友人からのコメントは、全て、彼に当てたものです。

facebook個人情報をオープンにしている仕組みですから、家族宛ではなく、本人のウォールとして存在します。

ですので、追悼コメントも本人に向けた文体になります。

彼が読める訳ではないことは解っていても、彼に語りかける文章になります。


facebookは、色んな人との繋がりを深め、多くの出会いも、多くのチャンスも作ってくれました!

そして、故人宛としても、その想いと感謝を伝える場を提供してくれました。

感謝します。

けれど、あまりに悲しくて涙が止まりません。



faceboookは、アカウント本人が無くなった場合は、家族に限り、アカウントを削除するか、追悼アカウントに移行することが出来るようです。

ネット時代に生きる私達は、自分のエンディングについても、これをどうするのか、を考えておく必要があるようです。

逆に、アカウントを消さない限り、ずっとネットの中では生き続けることが出来る、とも言えます。

彼への、追悼コメントを読みながら、彼がみんなに愛されていたことがよく解りました。

彼のご家族には、アカウントを削除せずに、追悼アカウントへの移行を願うばかりです。



バーチャルな世界と揶揄されるネット、ブログ、SNS。

ですが、これらも、なかなか捨てたもんじゃあないな、と思います。

とは言え、やはりリアルに顔を合わせておくことの大切さも、これの旅立ちによって、気づかされました。

これからは、もっと積極的に、人に会いに行こうと思います。


PS: 願わくば、あの世からでも、faceboookのコメントが見られるようにならないかなあ~

スティーブ・ジョブズが、向こうに行ってるからなあ~取り組んでるかも知れないなあ~

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